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2025/01/23

1年の始まり…神社の中に入ると

早いもので1年の1/12が過ぎようとしています。1月は特に神社の神様にお世話になる月で、先日、新車のお祓いにも行ってきました。1月の納車で最新式の新型のトラックです。福岡支店で活躍しますのでぜひぜひよろしくお願いいたします。

新年の安全祈願祭、どんど焼き、新車のお祓いと立て続けに神社のお世話になったのですが、一歩鳥居をくぐると「神様に見られている」ような神聖な気持ちが背筋を伸ばしてくれると思う時がありませんか? 私はしっかり手水で清めて神社の中に入ります。(後ろめたいことがないわけではありません。)

会社の前に置いてある自動販売機の缶のゴミ捨てのケースや袋に缶が入りきれず誰かが無理やり突っ込んで、入りきれない缶がコロコロと転がっている時、ごみ袋を引き上げ、缶を捨てなければならないのですが、ジュースがこぼれていてベトベトして汚いしで素通りしちゃう時があります。「神様に見られている」という気持ちがその瞬間に少し芽生えれば缶を拾い上げまとめて捨てるのですが。ほんとに小さな気持ちです。(神様、ごめんなさい。)

私の息子がラグビーをしていた時、その監督は練習についてあれやこれやと細かな指導はしないのですが、ひどい逆鱗を生徒たちにしているところを目撃したことかあります。

その理由は、四角いグランドの外周をランニングさせているのですが、生徒たちはその四隅の角を丸くまたいでランニングします。監督は「ショートカットせずにきちんと角を回れ」と凄くしかります。たった一回の「まぁ、いいか」とか「これくらいで大丈夫だろう」が運をつかみ損ねると監督は生徒に教えたかったのかもしれません。

私も神様は細部に宿ると信じています。人が見ていなくても神様は見ています。悪い行動や言葉はきっと自分に向かって帰ってくるのだと。今からの時代はなかなか他人様から注意を受けない時代がが来ます。逆に何かを失敗でもすれば立ち上がれないくらいに叩きのめされる時代にもなりました。「人からの信頼」「気が付く人」「小さなことにも感謝できたり感動できる」小さな「たかが」がすごく大切だと思います。良い人、良い会社とはそういうもののような気がします。

自戒の意味も込めまして残りの1月も乗り越えていきたいと思います。