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2021/01/20

お疲れさまでした。体験談

乗務員生活44年の大分支店、工藤さんが退職されます。

その経験をお伺いしました。

皆さん、長い間大変お世話になりました。

今の若い方に昔人間の仕事をしてくださいとは決して言いません。バカな無鉄砲な仕事をしてきました。自慢話かいと笑われるかもしれませんが、今の安芸重機はこんなことをして大きくなってきたのも事実と思います。少しだけ記憶に残していただければいいなと思います。

 

  • 43年間お疲れさまでした。昔の仕事はどうでしたか?

昔は無茶な仕事を普通にしてきました、3日くらい寝なくて仕事もしていました。朝出たら3日間家に帰らないことが何回もありました。舗装機械のセットを3往復なんて普通にしていましたよ。働くのが当たり前の時代だったからですね。

 

  • どの支店長の面接で入ったのですか?

I支店長で大分支店二代目の支店長でした。YさんやらFさんらもトレーラーやらトラックに乗っていた時代ですよ。

 

  • 安芸重機の入社のきっかけはなんだったのですか?

同じ団地に住んでいたMさんの紹介で入りました。昔は、機械に乗ったことがない経験がない人がほとんどでした。仕事を習うのも、ドライバーはみんな気が強くて今では考えられないパワハラどころじゃない話です。蹴られるし、手が先に出る時代で、まぁー気を使いながら仕事を覚えたものです。大分支店は特に荒くれ者が多く、慰安旅行の菊池温泉でケンカして旅館に迷惑をかけた記憶が残っています。会長にも迷惑かけた記憶があります。

 

  • 昔のトラックはどうでしたか?

馬力が本当にない、今から考えれば信じられないトラックでした。4t車でジャッキだけでクレーンはない、ジャッキも長くてね、扱いにくい。10t車で260馬力、トレーラーツーデフで305馬力ですから、ほんと坂道で何度も止まりました。エアーが溜まるまで歯止してエアー溜めて動かしたものです。ボンネットタレーラーもありましたね。

広島の有田ボデーさん、鹿児島の山本ボデーさん、福岡の喜多村ボデーさんでまだフジタボデーさんじゃなかったです。足場板はアピトンでとにかく重いし良く抱えてたものですね。引っ掛けもギザギザに作った引っ掛けに足場をかけるくらいで、ズレるしはずれる、恐ろしいものですよ。

 

  • 昔の運転手さんはどんな気持ちで仕事していましたか?

みんな稼ぎたい一心でしたね。安芸重機は、25歳26歳で家が建つと話を良くしていました。

安芸重機に入社するのを順番待ちをしてもらうくらいでしたから、夜間、日曜日も、とにかく仕事したい、競争して仕事の取り合いするくらいですよ。

その分稼がしてもらいましたから。人にこの仕事は行ってよ。なんて絶対言いませんでしたね。

4t車で日報3枚、売上300万なんて強者もいましたが、絶対仕事は渡さなかったし、きついとか言わない人でしたけどね。そういう時代だったのでしょうね。

ほんと、自慢話じゃないですから。

 

  • 一番印象に残るお客さんや仕事は何ですか?

お客さんは、もう倒産してしまったがN工業さん、そして、今でもお世話になっているKリースさんですね。N工業さんは現場での機械の稼働が激しい、表層、路盤と何度も安芸重機のリース機、お客さんの機械と入れ替えるからロスがない、必ず往復でバンバン動かしていましたからね。Kリースさんは、日中は現場入れ、夜になったら大分から福岡の営業所に移動する、ほんとずっと走りっぱなしでした。忙しくさせてもらったし稼がせてもらいました。

印象に残るのは、住民に良く朝怒られていましたね、しょうがないけどね。大阪まで安芸重機が販売した建機の納車の時、機番違いで、折角言ったのに引き返したのも印象に残っています。

よく大阪のK重建機さんに機械を持って行って帰りには必ず広島の営業所に寄るのも恒例で、ストーブでカキを焼いて食べさせてもらったのも印象に残っているし。神戸の震災の直後がれきを避けながら走ったのも印象に強いです。

 

  • 仕事の苦労は何がありましたか?

昔は不便な仕事していましたよ。ポケットに10円いっぱいじゃらじゃらいれて、なにせ無線が無い時代、携帯電話が無い時代でしたから、仕事の指示や終了の報告は公衆電話です。

夜で山の中の林道の現場がわからなかったら最悪ですよ、ダンプが出てきたら勘でそっちに行くか、タイヤで泥引っ張っている道見つけたらそっちに走って、もう必死に現場見つけていました、自分が大変な思いするからですね。

あと、昔はトンネルの高さが今のように規格がなくて、高さがまちまちで、郡部のトンネルは間違いなく自走させていましたよ。高さの事故は昔の方が逆に少なかったかもしれません。

トンネルの前で降ろして、トンネル交わしたら載せるが大変でしたけど。

 

  • 長く働く秘訣はどうですか?今後はどうですか?

長く続けられたのは、縁ですね。大変な人や、大変なことが多かったけど良かったです。この仕事一筋しか考えてなかったですね。事務員さんともよく話してね、うまく付き合ってもらったものです。

今後は、ゆっくりしたいのと何かゆっくり考えますよ。

皆さん、事故やケガが無いようにして下さい。昔に比べてフィニッシャーは重くなりました。アイロンも重い。フィニッシャーの事故などないようにして下さい。

後記—話を聞いて—

ドライバーとして43年間、70歳まで働いてもらいありがとうございました。

43年間はあっという間と工藤さんは話されていましたが、会社への貢献は素晴らしいものがありました。

特別にクリスタル製の感謝状を贈呈させてもらいました。

お話しをお聞きすると、便利に仕事が出来ない時代から仕事でご苦労されてきたのだと感じました。

過酷な労働内容もたくさんあり、大変だったと思います。ご苦労様です。

ついつい私たちは、便利さと都合に安易に流されて、自分で出来ない理由を作っているのかもしれません。

不便な時代は仕事しづらい環境の中でもなんとかしなければならなかったのかもしれません。

私たちも便利なものは便利に利用し、より良い仕事環境で働かなければと思いました。

人生100年時代、お元気に過ごしていただきたいと思います。ありがとうご

ざいました。

先輩の背中をおっかけて頑張っていきます!!

感謝!!